私は本当に介護で苦労しました。
いくら祖母でも毎日が耐えれないくらい大変でした。
薬も効かず、本人はわがまま放題。認知症の介護がこんなにきついとは思いませんでした。私は毎日にイライラするばかりの毎日でしたが・・・・
そんな体験談はこちらです。
私の祖母の認知症の症状は本当にひどかった
私には92歳の認知症の祖母がいます。
年をとるとみんな頑固になりますが、私の祖母はもう天然記念物クラスの頑固人間。そして女優でした。
痛いフリ、かわいそうな自分、感謝してるフリ、とにかく女優。
1日1時間来てくれる在宅介護ヘルパーさんには、いつもニコニコでとても可愛いおばあちゃん。優しいのですっかり甘えて、もう赤ちゃんのように何もしません。
たまに顔を出す親戚の人には、かわいそうな自分、辛い自分のアピールを涙ながらに演じます。
でも、私の前では鬼ババァと言わんばかりのワガママで困った祖母。
私のやり方が気に入らないと、私が不在の間に台所の私の調理道具を片付けてしまったり、私が開けた窓が気に入らないと、家中の窓を閉めてまわったり、夜中に起きてきて何かガチャガチャ探したり自分のいいように片付けたりと、本当は何でも自分で出来るのです。
でも、私の前では出来ないフリ。
「何でも出来る事は自分でやらないと、本当に何も出来なくなっちゃうし、どんどんボケちゃうんだよ?」と言っても、まぁ頑固。
いいから水!ご飯よそえ!早く取って!でした。
とにかく、家族の言うことは聞かないのです。信じてくれないのです。
というか、聞いてるフリで、全く覚える気が無いのです。
認知症でも、自分の興味のある事はすぐ覚えます。気になることはいつまでも気になります。ボケてるのに、そんな事はちゃんと覚えてるんだ?とビックリ驚く事もたくさんありました。
ある日、買い物から戻ったら祖母が庭の門の所に立っていました。
普段は、足が痛い腰が痛い、ヨボヨボになった姿を他人見られたくない、と外出する事は絶対無いのですが、そんな事よりも外に出なければいけない理由があったのです。
どこに行くの!何してるの?と聞くと、病院へ行く!と言ってきかないのです。
どうにかなだめてベッドへ戻し、理由を聞いたら
「私の薬はちゃんとあるのか。今までとちゃんと同じ薬を飲んでいるのか。先生に聞くんだ!」と言うのです。
薬は毎月私が病院へ行って処方された物をきちんと貰ってきていました。
でも、祖母は天気の変化や季節の変わり目には具合が悪くなる事が多く、自分が具合が悪いのは私がちゃんと薬を貰ってきていないんじゃないか、足りないのではないか、と体の不調を私のせいだと思ったようです。
認知症の薬は飲んでいたけど、副作用がでていたのかも?
毎日のように、薬はあるの?目薬はどこ?と何回も何回も聞いてきます。
忘れないように、あちこちに張り紙もしていました。大きく「薬はあります」「目薬はここ」と。
それでも、祖母は毎日同じ質問。
普段は3歩歩くのですらイヤで、私に「水!」「お茶!」と座ったまま動かないのに、自分が具合が悪いのは私が意地悪して薬を減らして早く死ぬようにと、企んでいるのではないか、と思い、病院へ歩いて行って先生に聞くんだと言うのです。
典型的な、認知症の被害妄想です。
病院で認知症の薬を処方されていましたが、被害妄想はなおりませんでした。しかも薬を飲んでいても効果も感じられず、逆に悪くなっているような印象さえありました。
毎日毎日、自分はこの世で一番不幸で、自分はこの世で一番痛くて辛くて、誰も自分の事を心配してくれない、早く死にたい。
毎日そんな被害妄想を聞かされ続けました。
泣くのも上手。忘れたフリも上手。
介護ヘルパーさんの前では、私に「あんた誰だっけ?」です。
ヘルパーさんが帰ると、すぐさま私の名前を呼び、あれ買ってこい、こーしろあーしろ、と、さっきまで私の事誰だか分からなかったんじゃなかったの?と、イライラが止まりませんでした。
どんなに優しくしても頑張っても一生懸命尽くしても、数分後には忘れられます。
なんとか良くなってほしい色々努力をしましたがそれでもダメ。
だからついカッとなって冷たい態度やイライラすることも多くありました。
でも困った事に、普段簡単なことはすぐに忘れてしまうのに冷たい態度やイライラして怒鳴った事は、絶対忘れないのです。
そして私に対しての態度は全く変わらなく
やってもやっても終わりの見えない介護生活。2歳の子育てをしながらの認知症の介護は、本当に地獄のような日々でした。
今ではやっと叔父さんが引き取ってくれ病院に入院し、介護生活から解放されました。
認知症の介護は本当に大変です。
相手の気持ちを考えたいのですが、努力しましたが私には無理でした。
そしてなんとか治ってもらいたいと思い薬を飲ませましたが、逆になんだか悪くしたような気さえします。
今考えればもう少し介護の方法を変えたり、サプリなどを試したりと他の方法を試せばよかったと思いますが、あの頃の私にはそんな余裕もありませんでした。
私のような経験はあまりないことですが、どうしても介護がうまくいかない時にはやはり家族ですが離れることも必要なんだと思います。