認知症の薬、治療薬の副作用対処法

認知症に困っている方は改善を期待して薬を飲んでいます。認知症の治療薬にはアリセプト、メマリー、レミニールなどがあります。効果もありますが反面副作用もあります。嘔吐や歩き方が悪くなったり、怒ったりする副作用があり、その対処法を解説するサイト。

家族は本当にありがたい!暴れる認知症の父の介護で感じた事

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私は父の認知症で介護をしてきました。

毎日に本当に色々なことが起こり大変でした。

介護がこれほど大変なものとは知りませんでした。

症状が進行するごとに壊れていく父。少しでもよくなって欲しいと思って飲んでもらった薬でも副作用がでたりと本当に日々大変でした。

でも周りに頼れる家族がいたことが私にとっては本当に救いになったのを覚えています。

私の父の介護体験はこちら!

えー!私の父が認知症?

私は現在30歳で、認知症なのは70歳の父親です。母親はいませんが、2つずつ違う兄が2人いて、みんなからとても可愛がられて育ってきました。

特に私は父親が40歳の時に生まれた子供で、3人兄弟の末っ子なのでまさに目に入れても痛くない状態でした。

父親が遊びに行くときも常に連れていかれ、どんなに仕事が忙しくても誕生日には必ず早く帰ってきてくれる優しい父親でした。

 

私に本当に優しかった父親が認知症だと聞かされたのは父親が62歳、私が22歳の時でした。

症状に気が付いたのは、実家の近くに住んでいる一番上の兄夫婦でした。

症状の始まりは

「昔の話を1日に何度も繰り返す」

「冷蔵庫や玄関のドアを開けっぱなしにする」など、本当に些細なことでした。

父に認知症の診断が下されたとき、私は地元で就職が決まった時でしたので、兄夫婦と私とで父の介護をする決心をしました。

 

しかし父親は若かったため進行が早く、今まで自分でできていた料理や趣味のスポーツなどは2年ほどでできなくなりました。

私の中の父のイメージは、料理もテニスも上手ではつらつとした人でした。

次々と壊れていく父のイメージ、だんだん小さくなっていく父の体と向き合っていくことは、思った以上に辛かったです。

また、その時は会社に入ったばかりで、仕事ができない自分との戦いもあって泣きたくなることも多々ありました。

兄夫婦も子供が生まれたばかりで義理の姉も手一杯、私も心がうまく保てませんでした。

 

今思えば、女手は私だけ、一番可愛がってもらったのも私、という意識が強く、家事は何でも私がやろうとしてるのにできなくて…と勝手に追い詰められていたのだと思います。

追い詰められた私に気づいてくれたのは兄2人でした。

すぐ上の兄は異動届を出して実家に一緒に住んでくれることになり、短時間のホームヘルパーを雇うことにもなりました。

負担が減ってありがたかったのもありますが、家族が私の様子に気が付いて対策をとってくれたことがすごく励みになったのを覚えています。

それからは本当に何でも言える仲になりました。

認知症の薬の副作用で暴れ出した!

3〜5年目が一番困った事が増えた時期でした。

徘徊がはじまり、認知症の薬の副作用で暴れだしたり…。

絶対に1人で介護していたら心が折れていました。

徘徊は、最初は夜に勝手に近所の公園に行ったまま帰ってこなくなるところから始まりました。

あらかじめ、近所の警察には認知症であることを伝え写真を渡していたので、いなくなると警察の方に協力してもらい一緒に探してもらっていました。

しかしある日、お昼に出て行ったきり、2日間見つからなかったことがありました。その日はちょうどみんなの都合が悪く、ヘルパーさんが帰った後1時間ほど父を1人にさせてしまった日でした。

警察の方と探し、父のスポーツ仲間も手伝ってくれたのに見つからず、結局は近所の川辺の草むらで発見されました。

素足で歩き回ったうえに足を骨折したようですが命に別状はなく、次の日には会話できるまでに回復しました。

見つかるまでは生きた心地がせず、ずっと泣きながら探していました。みんなが自分自身を責めて反省し、父にもっと深くかかわるように約束しあいました。

 

また、認知症の薬の副作用で暴れだした時も大変でした。

本当に初めて父を別人のように感じたことを思い出します。

穏やかだった父が、物を投げつけたり蹴り壊したり、胸倉をつかむような動作をしてきました。

なにかきっかけがあるのかもわからず、家の外に避難してひたすら兄を待つ状態の日々もありました。

結局それは、ある薬をやめたことにありました。

私たちは元気ではつらつとした父が大好きです。

しかしある薬を飲んでいると、気持ちを落ち着かせすぎるのか大人しくて会話もしなくなりました。

お医者様は抑える薬をやめたことで狂暴化したのだろうとのことでした。

元気な父をとるか、時々暴れる父を抑えるか、それを選ぶことすらおこがましい気もしましたが、結局は薬で抑える方をとりました。

その決断が本当に良かったのか、私たちはいまだに悩んでいます。しかし無情にも悩ましい選択を私たちはその後も何度も強いられることになりました。

 

私たち子供は全員が成人しているとはいえ、まだまだ若くて未熟です。

まだ親からいろいろなことを学びたい時期に、親の生き方を決めていくという、重い課題を背負いました。

できる限りは自分たちでやろうとは思い葛藤しています。

でも私たちは恵まれていると思います。

男手はあるし、介護に携われる人数も多いし、そして何よりみんな父のことが大好きだからです。

もし介護がつらい方がいたら、無理せずとことん使えるものは使っていいと思います。介護する方がつぶれないような仕組みを、1日も早く作り上げてほしいです。