あなたは今自宅で介護していますか?
私たち家族は認知症の祖母を自宅で介護することになりました。
最初はできるだけ自宅で過ごさせたいという思いから始めたのですが・・・
祖母は自分の家族ですが、介護をしていると家族であることを忘れるぐらい大変なことが。
家族の介護のあり方を私の体験を通して考えてみました。
認知症の介護はあなたなら自宅か施設どっちにしますか?
元気だった父方の祖母が、ある日突然病に倒れ入院しました。
治療後、無事に退院できたものの、その入院をきっかけに認知症になり、自宅で介護をすることになりました。
当時の家族構成は、祖母、父、母、自分、弟2人です。
祖母はそれまで別居でしたが、足腰が弱くなっていて、身の回りのことができなくなっていました。
しかも認知症の症状がでたため心配だったので、我が家で一緒に生活することになりました。
でも介護は本当に大変でした。
まず1番困ったことは、排泄の介護です。
当然ながらキレイなものではないので、当時祖母はオムツを着用していましたが、オムツを替えることは苦痛でした。
更に祖母は、排泄が失敗してしまった時も何も言わず(言えず?)、
「臭いが気になるから、言ってね」と何度言ってもダメで、臭いで家族が気付く…ということは日常茶飯事でした。
そのことに1番イライラしていたのは母でした。
自分にとっては、祖母は血の繋がった家族でしたが、母にとっては所詮他人で、私にもきつかった排泄の介護は、母には相当きつかっただろうなと今なら思えます。
しかし当時は、゛お母さんはどうしてあんな言い方しかできないんだろう?゛とか、゛もっと仲良くしてほしいなぁ゛と思ってしまい、母に対しても良い気持ちではありませんでした。
汚れてしまった洋服の洗濯も大変でした。
特に大きい方の失敗は、普通の洗剤ではなかなか落ちにくく、洗面所に1日浸け置きをしておく形でした。
洗面所の臭いも気になりましたし、その洗濯物を見る度に、正直なところ嫌気がさしました。
排泄を失敗してしまった時は、身体を洗うことが1番手っ取り早かったので、祖母をお風呂場に連れていって、汚れた箇所を洗い流したりもしました。
温かいお湯を使用していても、冬場はやはり寒く感じるのか、「冷たい」と言われ、その言葉に゛あなたが悪いんでしょ゛と、心の中でまたイラッとしました。
次に困った事は、認知症による物忘れです。
食事が終わってすぐでも、「ご飯はまだ?」は、1日に何度も聞かれました。
祖母は、リビングのすぐ隣の和室で生活していましたが、リビングで家族だんらんの最中に、食事の時間ではないのに起きてきて、「ご飯は…?」と言われる度にイライラしました。
最初は優しく、「○時に食べたよ」と返していたのですが、何度も何度も聞かれると、私も祖母の問い掛けに答えなかったり、冷たくしてしまうことがありました。
お腹が空くのか、起きてきて冷蔵庫を漁ることもありました。
勝手に触られることを、特に母はものすごくいやがって、勝手に開けることができないよう、冷蔵庫には簡易的な鍵が付けられました。
鍵の存在に気付いた祖母は、とても悲しそうな表情をしていて、自分がすごく悪者になったように感じました。
勝手に家を出ていってしまったり、近所を徘徊したり…といったことはなかったので、その点は安心でした。
認知症の祖母の介護体験を通して
私が介護を体験して、これは大変だと感じたことは、介護自体はもちろんですが、それに関わる家族の関係がぎくしゃくしてしまうことです。
大人は皆イライラしていて、父と母は、祖母の介護のことで喧嘩が絶えませんでした。当時まだ小学生だった弟達は、両親の喧嘩に怯えていたし、家庭内の雰囲気は最悪でした。
私も心に余裕がなく、祖母にも優しくできませんでした。特に母には、つらく当たったことを今更ながら反省しました。
「これ以上一緒に生活していては、自分が鬱になりそうだ」と、母の願いで、最終的に祖母は、施設に預かってもらうことになりました。
祖母が施設に入ってからは、週末に顔を見に行く程度になり、家庭内の雰囲気は少しずつ明るさを取り戻しました。
施設は経済的な問題もありましたが、やはり家族と言えども、程よい距離が必要だと感じました。
祖母は他界してしまいましたが、
「もっとやってあげられたことが、あったんじゃないか?」と、時々母と話します。
でも、今また介護をしてみても、同じことの繰り返しになりそうで、自宅で介護をすることには限界があり、難しいと思いました。
やはり介護は非常に大変です。
簡単にはできません。
まずは家族で介護できる範囲を決めて、無理な状況と考えれば施設に預けることも考えた方がいいのではないでしょうか?