私の祖父は肺がんで亡くなりました。
亡くなる前には認知症の症状が急激に進んでしまい、色々と大変なことがありました。
私にとっては大好きなおじいちゃんでしたが、やっぱり認知症になってしまうと大変です。
私の祖父の介護体験はこちらです。
母からの電話で祖父の認知症を知る!
1月中旬。一本の電話が入る。母からだ。
おじいちゃんから電話が来て口調がおかしく分からない事を言ってるので私が電話かけてそこに行って欲しいと。
母はフルタイムで働いている。私は夫が自営業なので簡単なお金の管理以外は自宅にいる専業主婦だ。
おじいちゃんは一人暮らしをしている。
車が好きで命のように大事にするおじいちゃん。電話を何度かかけてやっと出ました。
やはり車の中にいるようだった。エンジンがかからなくて動けないと。どこにいるのか聞いたら自宅から30キロほど離れているところ。
でもハッキリと場所は言えない…。
その当時おじいちゃんは肺がんを患っていた。脳転移もするだろうと余命1年〜2年だと告げられ、その宣告から3年経っていました。
その時、思った。癌が脳に転移してしまって認知症のような症状が出ていると。
脳腫瘍などができると認知機能が低下することを知りました。
ろれつが回らなく言葉のスピードが遅く、何よりも威勢のいい昔気質のおじいちゃんが、どこにいるの?と私が声を荒げても怒らない。
おじいちゃんが示してくれる場所に車を走らそうかと思ったのですが違っていては無駄足になると思い諦めました。
すぐに管轄内であろう警察署に電話をする。そのうちおじいちゃんの携帯は繋がらなくなっていました。
行方不明届けも出し、自宅待機と言われましたがいてもたってもいられず、
子供達を夫に託し仕事を早退してきた母とおじいちゃんが住む街、行きそうなところ、おじいちゃんが示す場所へと車を走らせていました。
見つからず先へ先へと国道を走らせた。その間も警察から何も連絡はなく。
2時間ほど経った頃、おじいちゃんの近くに住む母の妹から電話が入る。見つかったと。そこは県境を越えた国道で警察もそこまでは足を伸ばさなかったようでした。
国道の海沿いに車を停め不審に思った近所の人が通報したようでした。
そこにはパトカーが4台、覆面パトカーが1台。物々しい雰囲気でした。
その状況に正気を失う母。
不安でいっぱいな目をしたおじいちゃんがいた。髭が生え、傷だらけで不潔な格好をしたおじいちゃん。
綺麗好きで清潔なおじいちゃんはもういなかった。体は冷え切っていて警察の方が背中にカイロを貼ってくれていました。
後に分かったが自宅は冷え切っていてストーブのつけ方も灯油の買い方も分からず毛布にくるまり何日か過ごしていたであろう形跡。
助手席にはストーブのカートリッジが積んであった。自宅には灯油缶いっぱいに灯油が入っていたのに。何日も寒い思いをしていたと思うとすごく苦しい気持ちになった。
認知機能がどんどん低下した祖父が肺がんで入院
その日のうちに肺がんの治療で通っていた大学病院に救急で受診をしました。
私たちを分からず不安な顔をしているおじいちゃん。
CTや簡単な認知症の検査をしました。この日救急のベットの上で便失禁をしました。その手で癖でもある頭を撫でる。
初めてみた光景に心臓がバクバクした。翌日も受診をし脳に影があることがわかり入院。水頭症の疑いだったが脳に癌が転移しているという懸念もあり、正確な診断は出きませんでした。
しかし年齢的に体力的に抗がん剤治療などはしませんでした。
食事も介助が必要なこと、下の世話、大学病院だということもあって転院もしくは老人ホームへの入居を薦められました。
私は時間があると昼食を食べさせないにいき母は仕事の後毎晩通っていた。困った事はオムツ交換でした。
私も母も経験がなく大学病院の介助職員がやってくれていました。
私達に経験があればやってあげたいという気持ちはあった。しかし難しい問題であり、みな仕事があるため自宅介護はできない状況にでした。
同時期、母は介護認定など病院探しホーム探しに錯綜していました。
大学病院からの転院日が決まった頃、おじいちゃんの容態が急変。
その翌朝、あっさりと逝ってしまいました。
苦しむことなく心臓が止まったそうだ。私が駆けつけた午前7時ご臨終となった。行方不明時からわずか1ヶ月と2日の出来事でした。
転院の話老人ホームの話、決しておじいちゃんの前ではしなかったのですが、おじいちゃんは迷惑をかけまいと認知症ながら思ったに違いないと私は思います。
そんなおじいちゃんでも安心して行ける老人ホーム。社会が、介護社会がもっともっと良くなってくれればいいなと切に思います。
そして私たちも介護という現実を突きつけれて正直ドタバタしました。祖父の場合には脳腫瘍という特殊な病気で急に症状が出たため本当に時間はありませんでしたが、介護について家族で一度は話し合っておく必要があることを感じました。
これからはどの家庭でも直面する介護。
少しでも早くから準備していれば、安心かもしれません。