認知症と診断された祖母を今母と一緒に介護しています。
早くから病院に行き、薬を飲ませたのでまだなんとか自宅で過ごせています。
介護を通してやはり認知症の方には嘘をつくことも必要だと痛感しました。
私たち家族の認知症介護の体験談はこちらです。
二世帯住宅で暮らす祖母の認知症。認知症を受け入れられない!
わたしは生まれた頃から二世帯住宅で祖父母と一緒に暮らしていました。
祖父はわたしが小学校の時に亡くなり、その頃から祖母がだんだんボケが出て来たような気はしていました。
それでも、何回も同じ話をしたり同じことを聞いて来たりと言う程度だったので、あまり気にしていませんでした。
そんなある日、祖母が認知症だと疑う事件は突然起きました。
わたしが高校生の時でした。
毎日日中近くの公園に1時間ほど散歩に行く祖母が1時間経っても帰ってこないのです。
その日は日曜日だったので、心配になったわたしは探しに出ました。
どこかで事故に遭っていないか、怪我をしていないかと不安になったのです。
そして、例の公園に着くと、祖母がぼーっとひた表情でベンチに座っていたのです。
安心とともに、具合が悪くなったかとまた心配になり、駆け寄りました。
すると祖母はわたしの顔をじーっと見つめて、帰り道忘れちゃったと言ったのです。
そんな迷うような道ではないのです。
住宅地を一周回る程度で、しかも毎日歩いていた道です。
それがあり、祖母を家に連れて帰ったその日に母に相談をしました。
すると、わたしたちが学校に通っている間も一緒にいた母はもう気づいていたようでした。
しかし、信じたくない気持ちもあり見ないふりをしていたようでした。
認知症は早いうちに対処すると軽度でおさえられると聞きました。
そして、家族とも相談をした上で病院に行くことにしたのです。
病院での診断は思っていた通り認知症でした。
問題は、困ったことに本人が認めないことです。
自分は大丈夫だ、ど忘れした程度だと言うのです。
なので、治療や薬をしばらく拒んでいたのです。
最初はおばあちゃんは認知症なのだと言っていましたが、認めないし言われるたびに落ち込む祖母を見ていたたまれなくなりました。
そこで認知症だということは辞めて高血圧の薬だと言って認知症の薬を飲んでもらうようにして来ました。
早くに病院で治療を始めたので、今でも訳もわからずに叫ぶことや、徘徊をしたりすることはほとんどありません。
しかし、お手洗いに行くことを忘れたり、ドラマであるように食事をしたことを忘れてお腹が空いたということはよくあります。
だんだんと進行する認知症。家族は一体どうしたら?
お手洗いのことで支障が出始めてから、母は本格的に仕事を辞めて介護に徹することになりました。
今日はしなくても明日から徘徊が始まるということも考えられるからです。
祖母は人の名前や顔がわからなくなることは家族内ではありません。
困った事といえば、未だに自分が認知症だと理解していないことと、鍵などの小物をどこかにしまって、しまった場所を忘れてしまうことです。
誰も見ていないところでするので、特に鍵とハンコはよくなくなります。
祖母が隠した場所はわたしたちはなかなか見つけられないのに、わたしたちが隠した場所は祖母はなぜかすぐに見つけます。
そのいたちごっこが一日中続いていて、24時間介護している母は相当大変だと思います。
たまに、テレビなどをみて介護施設でトラブルなどがあると、あんなところに行ったら自分も辛い目に合うという話をします。
それに対する反応には本当に困ってしまいます。
これから進行して行く認知症に、自身も老化して行く母が1人で見て行くことは不可能だと思います。
かといって他の家族は仕事をしていますし、介護を本格的に手伝える人もいません。
ですので、介護施設に入ることも考えなければなりません。
施設自体に抵抗のある祖母に説明することは大変だと思います。
今祖母が通っている病院は、系列に特別養護の介護施設があることで、選びました。
将来的には預かってもらうことも考えてのことでした。
祖母の考えと家族の事情を兼ね合わせることがこれからの課題です。
わたしは生まれた頃から二世帯住宅で祖父母と一緒に暮らしていました。
祖父はわたしが小学校の時に亡くなり、その頃から祖母がだんだんボケが出て来たような気はしていました。
それでも、何回も同じ話をしたり同じことを聞くぐらいだったので、あまり気にしていませんでした。
そんなある日、祖母が認知症だと疑う事件は突然起きました。
わたしが高校生の時でした。
毎日、日中に近くの公園に1時間ほど散歩に行く祖母が1時間経っても帰ってこないのです。
その日は日曜日だったので、心配になったわたしは探しに出ました。
どこかで事故に遭っていないか、怪我をしていないかと不安になったのです。
そして、例の公園に着くと、祖母がぼーっとした表情でベンチに座っていたのです。
安心とともに、具合が悪くなったかとまた心配になり、駆け寄りました。
すると祖母はわたしの顔をじーっと見つめて、帰り道忘れちゃったと言ったのです。
そんな迷うような道ではないのです。
住宅地を一周回る程度で、しかも毎日歩いていた道です。
祖母を家に連れて帰った日に母に相談をしました。
すると、わたしたちが学校に通っている間も一緒にいた母はもう気づいていたようでした。
しかし、信じたくない気持ちもあり見ないふりをしていたようでした。
認知症は早いうちに対処すると軽度でおさえられると聞きました。
そして、家族とも相談をした上で病院に行くことにしたのです。
病院での診断は思っていた通り認知症でした。
問題は、困ったことに本人が認めないことです。
自分は大丈夫だ、ど忘れした程度だと言うのです。
そのため治療や薬をしばらく拒んでいたのです。
病院を受診してからは「おばあちゃんは認知症なんだよ」と直接伝えていました。しかし本人は全く認めないし、言われるたびに落ち込んでしまったりと私たちも逆に見ていていたたまれなくなりました。
私たち家族は認知症だということはやめ、高血圧の薬だと言って認知症の薬を飲んでもらうようにしてきました。
早くに病院で治療を始めたので、今でも訳もわからずに叫ぶことや、徘徊をしたりすることはほとんどありません。
しかし、お手洗いに行くことを忘れたり、ドラマであるように食事をしたことを忘れてお腹が空いたということはよくあります。
お手洗いのことで支障が出始めてから、母は本格的に仕事を辞めて介護に徹することになりました。
今日はしなくても明日から徘徊が始まるということも考えられるからです。
祖母は人の名前や顔がわからなくなることは家族内ではありません。
困った事といえば、未だに自分が認知症だと理解していないことと、鍵などの小物をどこかにしまって、しまった場所を忘れてしまうことです。
誰も見ていないところでするので、特に鍵とハンコはよくなくなります。
祖母が隠した場所はわたしたちはなかなか見つけられないのに、わたしたちが隠した場所は祖母にはすぐに気づかれます。
そのいたちごっこが一日中続いていて、24時間介護している母は相当大変だったと思います。
たまに、テレビなどをみて介護施設でトラブルなどがあると祖母は自分自身で施設に行ったら自分も辛い目に合うという話をします。
祖母の施設に対しての反応には本当に困ってしまいます。
これから進行して行く認知症に、自身も老化して行く母が1人で見て行くことは不可能だと思います。
かといって他の家族は仕事をしていますし、介護を本格的に手伝える人もいません。
だからやっぱり介護施設に入ることも考えなければなりません。
施設自体に抵抗のある祖母に説明することは大変だと思います。
今祖母が通っている病院は、系列に特別養護の介護施設があることで選びました。
将来的には預かってもらうことも考えてのことでした。
祖母の考えと家族の事情を兼ね合わせることがこれからの課題です。